

情熱×今も昔も変わらない〝まちの食堂″
栗原市築館地区にて、家業を継ぎました。100年ほど続く屋号「まるよ」の8代目として大衆食堂を運営しており、日々仕事と子育てに奮闘しています。
幼稚園から高校まで築館で過ごし、料理を学ぶために仙台市の専門学校へ進学。当時は大好きな中華料理を作れたらいいなと思っていましたが、実務経験を積むためアルバイトとして入った迎賓館で、日本料理の荘厳さや“おもてなし”の精神に惚れ込んでしまって。専門学校を卒業してからはその会社に就職し、時には仕事がキツい時期もありましたが、結果的に11年ほど働かせてもらいました。仙台では、今の妻とも出会って結婚し、そして子供も生まれて、忙しいながらも充実した生活を送っていましたね。
ただ、うちのおばあさんが体調を崩したことをきっかけに、僕は築館へUターンすることを決意します。僕が帰って「まるよ食堂」を継ぐことで、おばあさんを引退させてあげようと。小さい頃から食堂で働くおじいさんやお母さんも見てきましたし、僕が長男ということもあって、将来的に家業を継ぐのだろうとは思っていました。2021年2月から、8代目として厨房に立っています。
移住する前、福島県出身の妻からは反対されました。やはり都会と比べたら利便性も良くないですし、地方特有のコミュニティや文化もありますからね。でも、今は仙台の会社に勤めながら、HP制作などで家業にも貢献してくれています。何より「あなたが生き生きと仕事する姿を見られるだけで幸せ」と言ってくれて。ほんと、泣かせてくれますよね。(笑)
築館へUターンして自営業になってからは、おもに子育ての面で変化がありました。仙台では仕事に追われる日々でしたが、多少時間の融通が効くようになって、子供との時間は増えましたね。毎朝ごはんを食べさせて保育園へ送り迎えをして、正直「こんなに子育てできるんだ」と驚く自分もいます。今後も妻と協力しながら、仕事と子育てを両立するチャレンジ精神を持ち続けたいです。
そして「まるよ食堂」は、今も昔も変わらず“まちの食堂”として、地元の皆さまにご愛顧いただいております。僕はこれまでの日本料理の経験を活かし、新たなメニューを絶賛提供中。また、産地直売所などで仕入れた地域の食材をできるだけ取り入れて、少しでも地元を盛り上げようと努めています。今後は皆さまの“日常”に限らず、誕生日や記念日など “特別な日”にも寄り添える存在を目指しています。