情熱×人づくりとまちづくり
東京で生まれ育った私は、学部生時代に発生した東日本大震災をきっかけに南三陸町を知りました。当初はがれき撤去のボランティアで通うようになりましたが、長く通うようになった理由の1つは、最初に食べた飲食店の店主が2回目に訪れた時に「おう、お帰り!」と言ってくれたことが大きいと思います。のちに復興応援大使に任命いただきソフト面の活動も広げ、その中で「教育→人づくり→まちづくり」は繋がっていると感じてまちづくりの仕事に就くようになり、2017年の結婚を機に町民になって今に至ります。
「教育」と聞くと「教えて育てる」のイメージを持たれると思いますが、私が日々の中で大切にしていることは、自分が率先して動くことによって共に「教わり育む」という姿勢の教育、そしてそれを意識した「まちづくり=人づくり」の実践です。元々教員を目指していましたが、今は学校の域を超えたさまざまな教育、まちづくりの仕事をしています。
最初は地域を知る機会もあまりなく、ただただ目の前にあることに取り組み、早く町をキレイにしたい、町の人たちの笑顔を見たいと思って活動してきました。しかし、そのうち震災前の話や町の伝統文化、受け継がれた技術などを知るようになり、その中で、自分たちの暮らすまちや当たり前になりつつある営みについての歴史背景を知り、見えない努力や苦労、携わってきた人々や想いを想像できる人がたくさんいる世の中にしたいと思うようになりました。同時に、そういう人たちが増えることは、人づくりとなり、まちづくりになると強く思うようにもなりました。
これまでにも、漁業やイベント運営、神社の行事などいろいろとお手伝いしながら学び、最近では農業や林業も地域の方に学びながら実践していますが、どれも人づくり・まちづくりに繋がっていると実感しています。そして、自分だけが学ぶのではなく、関心を持って共に継承していく仲間を少しずつ増やしていきたいと思い、地域にいるさまざまな分野の達人たちに学ぶ部活動を立ち上げ、Ⅰターン・Uターン共に交流しながら地域の伝統文化に触れ、それを継承している先輩たちの想いに触れる活動を続けています。
もう一つ大事にしているのは、都会・田舎のどちらかを選ぶのではなく、どちらも選ぶライフワークバランスの実現です。私も基本的には南三陸町で暮らしているのですが、出身地である東京に起業し、拠点を持ちながらの二拠点生活を実践しています。
このようなライフワークバランスをモデルにすることで、南三陸町の若者が地域にいながら町外で活躍できる可能性、あるいは、町外から来るのに一歩踏み出す勇気が出ないという人にもさまざまなライフワークバランスの可能性があることを伝えていけたらと思っています。ぜひ、南三陸町で暮らしながらのライフスタイルを一緒に送りましょう!