情熱×食を通して笑顔を届けるキッチンカー
登米市石越町に生まれた僕。
小さいころから、いろんなところへ行っては1人で遊ぶような活発だった僕は、大人になるにつれて、ものづくりに携わりたいと思うようになりました。
なので、選んだ高校も専門性を持つ工業高校に通い、卒業後も、工場勤務でいろんな場所をまわりました。
しかし、30代に近づくにつれ「このままでいいのかな」と、思うようになったんですね。
それは、とある友人からの「ちょっと東京で仕事どうでしょうか?」という誘いがきっかけでした。
好奇心やいろんな場所に行ってみたい欲があり、この仕事を受けました。
初めて携わる「飲食」という業種でした。
ここで、食材を美味しく食べるという楽しさを知り、自分の中でも楽しさを感じて仕事をしていました。
そして、5年が過ぎたある日、「東日本大震災」が発生しました。
地元の心配もありましたが、一旦すぐには戻らず、1年。
自分の将来を考える中、地元への想いがどんどん溢れ、何か自分に出来ないかと思い始めました。
そこでまず始めたのが“キッチンカー”での移動販売でした。
登米市はすごく新鮮で美味しいものがたくさんとれる場所。
そういうものを自分の飲食に携わった感覚で何か出来ないかと思い始めました。
キッチンカーで提供するのは“ピッツァ”。
実家が米農家であり、登米は米どころで美味しい米がとれる。
その米を使ったものを軸に、まちを元気にしたい思いから生まれた登米のピッツァ。
食べ物を自分の中で作るというとき、一番考えていたこと。
「まずは自分が楽しくあれ」「自分が一番美味しいと思うものを作る」
この思いを軸に、地元の食材を中心に考え、登米が胸を張って「登米のピッツァです!」って言えるようなものを、日々研究しながら作っています。
初めてのキッチンカーは、どのようにしてやっていけば良いか、周りに聞きながら試行錯誤で取り組んできました。
各地の移動先で楽しみに待っているお客さんとお会いできる移動販売の楽しさと、ものを作って人に喜んでもらえるという楽しさを知りながら、7年。
道の駅でパンの製造・販売も手掛けながら、地元に根付いて今も移動販売を続けています。
地元を離れ、関東にいたときに、いろんな刺激を受けてきて、
「あ、今の小さい子にこういう体験があれば、すごく笑顔になるな」っていうのがあり、そういう食を通して、今自分の住んでいるところの食の楽しさや美味しさというのを、体験でき、そして笑顔にさせるというのが、いま情熱を注いでいること。目的です。いや、使命です!
そんな私が好きな登米の部分が、夕焼けです。夕焼けがすごい綺麗です。周りに田んぼが多く、日が暮れるときの雲の色から稲刈りの小麦色になった色に落ちる夕焼けがすごく綺麗だなって思います。
そんな登米市に興味を持っていただいたら、まずはいろんな方へ相談してください。皆さんすごくいろんな情報を持ってるので、その中でどのくらい自分の生活に合うのかなっていうのを検討された方がいいのかなと思います。まずは、情報を少しずつでもとって、登米市に楽しく来れるようにしてください。